プロジェクトの原点 トヨタ「86」

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「車には興味がない」「軽で充分だ」などという声をしばしば聞く。そんな時代にトヨタが満を持して発表したのは、なんとスポーツカー。「86(ハチロク)」と名付けられたその車は、技術者たちの情熱とプライドがぶつかり合う中で奇跡的に誕生したのだった。

伝説の名車「ハチロク」、新生す

多田哲哉(トヨタ自動車株式会社)
「グローバル企業・トヨタ自動車」というイメージを感じさせず、何事も忌憚なく語ってくれた多田。その言葉には技術者魂がこもっていた。
 ハチロク──かつて、車両型式番号「AE86」を持つトヨタのカローラレビンとスプリンタートレノにつけられた愛称だ。たとえクルマ好きならずとも、人気漫画『頭文字D』によってその名前を知っている人も多いのではないだろうか?
 そのハチロクが、「キーンルック」と呼ばれる鋭い顔つきや空気を切り裂くようなフォルムを持つスポーツカー「86」として新生した。

「自動車のエンジニアなら、誰でも一生に一度は造ってみたいと思うもの──それがスポーツカーなんです。車の楽しさを極限まで追求して開発できますからね」

 チーフエンジニアとして86の開発を指揮したトヨタ自動車の多田哲哉はそう語った。
 しかし、「車離れ」が進んでいると言われる時代に、なぜ敢えてスポーツカーなのだろう? そんな疑問に、多田は技術者らしく率直に答えてくれた。

「車離れは、もちろん僕らも以前から認識していました。どうしたらいいのかと悩んでいたとき、当時副社長だった豊田(現社長の豊田章男)がこう問題提起したんですよ。『クルマ好きの王道はスポーツカーだ。そこから逃げている限り、車離れを止めることはできないんじゃないか』と──

 GMと自動車生産台数世界一を競うトヨタの中で、スポーツカーの分野ではMR-Sが2007年に生産終了し、スポーツカーがまったく造られなくなった。多田たち開発者は毎年スポーツカーの企画を提出してはいたのだが、なかなか通らず、多田が携わっていたのもミニバンなどの開発だった。
 ところが、MR-Sの生産終了と同じ2007年のある日に、多田は役員室に呼び出される。

「いきなり『スポーツカーを造ってくれ』と言われたんです。そりゃあ、最初は驚きましたけど、嬉しかったですよ。スポーツカーはエンジニアの憧れですからね。しかも、たとえば『スープラみたいなのを造れ』とか『2年で完成させろ』といった制約も一切なし。めったにないチャンスが来たと思いました」

 こうして“プロジェクト86"はスタートしたのだった。

超低重心のコンパクトな車を造れ

多田哲哉(トヨタ自動車株式会社)
取材が行われた試乗会会場には、市販車に先立って発表されていたコンセプトモデルがずらり。中央は「Gスポーツ」というモデル。
 まず最初に多田がやったのは、、日本全国にあるミニサーキットはもちろん、アメリカなど海外にまで出かけていき、スポーツカーを愛する人たちの声に耳を傾けることだった。すると、意外なことがわかった。

「世界中のクルマ好きの人たちは『自動車メーカーは俺たちが求めている車を造ってくれない』と口を揃えて言うんです。実は、スポーツカーは毎年いろいろな自動車メーカーが発売しているんですが、ハイテク、高出力、ハイグリップな車が多く、本当にユーザーが望んでいるのはそういう車なのかと疑問を持つようになりました。もしかしたら、そういう車じゃないと企画が通りにくかったのではないかと。よく考えると変な話ですよね」

 メーカーとクルマ好きの間でミスマッチが起きていることに多田は気づいた。クルマ好きが求めていたのは、「排気量2リッター。FR(フロントエンジン・リアドライブ=エンジンが前にある後輪駆動)でコンパクト。超低重心で手ごろな価格のスポーツカー」だった。

「本当に乗りたい車がない、という思いは僕たち自身も感じていたことなんです。じゃあ、自分たちが乗りたいと思えるスポーツカーを造ろうと思いました。乗る人が自分の好きなように仕上げて、長く愛されるかつての『ハチロク』のような車を造ろうと。それが“86の原点"になりましたね」

 当時のトヨタのエンジンでは、クルマ好きが求める超低重心を実現するのは簡単ではなかった。だが、幸運なめぐり合わせがあった。トヨタは2005年にスバル(富士重工)と提携していた。スバルには水平対向エンジン(BOXER)の技術があった。それを使えば、超低重心のスポーツカーが実現できるのだ。多田はさっそくスバルに交渉を試みた。
 それは困難な道の始まりだった。

紙一重で進んだスバルとの共同開発

多田哲哉(トヨタ自動車株式会社)
「スペックには現れない“スポーツカーに乗る楽しさ"を追求しました。ぜひ一度試乗して、86の楽しさを体感していただきたいですね」
「今だから言えますが、車の共同開発というのはうまくいかない場合も多いのです。メーカーごとにやり方が違いますし、技術者同士のプライドのぶつかり合いもありますしね」

 多田がスバルにエンジン提供の打診に行くと、スバルのスポーツカーとは明らかに異質の86のコンセプトを受け入れてもらえず、話は暗礁に乗り上げた。交渉の末、86用のエンジンを何とか1台試作させてもらうことはできたが、どうしても目標としていた性能が達成できない。そこで、トヨタが持っていたD-4Sという直噴エンジンの技術を取り入れようというアイデアが持ち上がった。すると、今度はトヨタサイドが「虎の子の技術をスバルに開示するのか」と大反対。ようやく多田が社内を説得したと思うと、スバルサイドから水平対向エンジンに直噴エンジンの技術を取り入れることへの異論が出た。まさに「あちらを立てればこちらが立たぬ」だった。

「とにかく、1台だけ試作させてほしい」

 再び多田はスバルと交渉し、どうにか了解を取りつけた。そして、日本が誇るトヨタとスバルの技術が一つに融合され、新たなエンジンが完成した。

「目標は200馬力だったんですが、驚いたことに試作のエンジンがいきなり196馬力を記録したんです。それを見たとき、トヨタとスバルのエンジニアが一瞬にしてリスペクトし合えたんですよね。どちらの技術もすごい、力を合わせれば必ずいい車ができる、と。やっぱり技術者は技術を通じてこそわかり合えるものなんです」

 それが大きな転機となった。メーカーの垣根を越えた「チーム86」ができ上がり、あたかもアクセルをいっぱいに踏み込んだかのように開発は急加速で前進していった。
 様々な困難を乗り越え、ついに2012年4月6日、小型FRスポーツ「86」が発売された。カッコよくて、スポーツカーに乗り慣れていないドライバーでも容易に運転できる車。一方、クルマ好きがカスタマイズをしたり、走りを追求したりする楽しみも味わえる車──新しい時代の名車が生まれたのだ。

「通常、車の開発にかけるのは数年なんですが、86では5年をかけました。僕自身、『このまま86というプロジェクトは駄目になってしまうんじゃないか』と思ったことも何度もありましたし、実際紙一重でした。でも、こうしてプロジェクトを完遂できたのは“スポーツカーのオーラ"のおかげじゃないかと思います。やはりスポーツカーというものには、それだけの力があるんですよ。僕自身にとっても、86は“人生の証"と言ってもいい車。86を造れて、本当に幸せですよ」

 自信に満ちた笑みを浮かべながら、多田はそう語った。


 さて、取材の最後に多田が「実は、本当の意味では86はまだ完成していないんです」と、プロジェクトに隠された秘密をほんの少し教えてくれた。ハードとしての86はでき上がっている。その86を、今までの車にはなかった形で楽しめるソフト面でのアプローチが着々と進行しているのだとか。
 ヒントは、リアルとバーチャルのシンクロ。そして、『グランツーリスモ』──
 現時点ではここまでしか書けないが、とにかくワクワクする試みであることは確かだ。86が「真の完成」を迎えたとき、「車には興味がない」と言っている人たちも、一度は86に乗ってみたくなるだろう。
 ぜひ情報がオープンになるのを楽しみにお待ちいただきたい。
※敬称略
  • 多田哲哉
  • 多田哲哉
    トヨタ自動車株式会社 スポーツ車両統括部 ZR チーフエンジニア。55歳。1987年入社。入社前はコンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた経歴を持つ。
    これまでに手がけた車は初代bB、ラウム、ラクティスなど。AE86を愛車としていたこともある。


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