オズマガジン古川編集長の「F太郎通信2017」Vol.02 2011年4月12日発売5月号「鎌倉」特集

更新日:2017/04/02

2011年4月12日発売。今回は震災1カ月後に発売になったオズマガジンのことをお話します

オズマガジンのバックナンバーを少し楽しく読むためのコラム

 こんばんは。1週間ぶりです。

 オズマガジン編集長の古川です。先週の日曜日からオズモールに6回限定で連載を持たせていただいています。

 6月のオズマガジン創刊30周年を前に、オズマガジン月刊化リニューアルからの8年分のバックナンバーが読み放題となっております。ぜひこの機会に読んでいただければと思い、そのことをオズモールの読者のみなさんにも知っていただこうと、このような機会をいただいています。

 8年分のバックナンバーといいますと、100冊以上のオズマガジンが読み放題ということになります。表紙を並べてみると壮観ですね。この連載は、100冊を超えるオズマガジンの中から、特に思い出深い6冊をピックアップして紹介させていただきます。

 2回目の今回は、2011年の「鎌倉」特集のことをお話します。

 毎月2回発売していた頃から(2008年6月まではオズマガジンは第1第3火曜日発売でした)、オズマガジンは春と秋の年に2回の鎌倉特集をしていました。月刊になってからは春に1回、1年も休むことなく続けさせていただいている人気企画です。今月12日発売の5月号も鎌倉特集。この記事をみなさんが読んでくださっている頃にはもう校了しているはずです。バックナンバーと合わせて、最新号もぜひ読んでいただけたらと思います。

 2011年といえば、あの東日本大震災があった年です。2011年4月12日に発売になったこの本の話をする前に、3月11日の話をさせていただければと思います。

 あの年の3月初旬に、僕らは鎌倉で4月発売号の表紙の撮影をしました。モデルはKIKIさん。写真は川島小鳥さん。いつもどおりのメンバーでした。

 3月11日。現像所から小鳥さんの写真の現像があがったという電話がかかってきたのはちょうどお昼頃でした(オズマガジンの表紙の写真はいまだにデジタルカメラではなく、フィルムカメラで撮影しています。一部デジタルの号もありますが)。
 僕はバイク便の会社に電話して、その現像された写真を印刷所に入稿するために、現像所から会社に届けてもらうように手配しました。鎌倉で撮ったKIKIちゃんの写真はとてもいい写真だったから、現像された写真を見て、表紙を作るのが楽しみでした。

 その写真を待っている間にあの地震がやってきました。

 東北地方に比べたら被害は少なかったですが、首都圏も大パニックに陥りました。当時編集部が入っていたビルは外壁が剥がれ、ニュースに映像が流れました。もちろん社員の僕らにも避難指示が出ました。日比谷公園、東京駅、皇居まわり・・・、会社のまわりも人で溢れ、さまざまな情報が入り乱れていました。電話もつながりません。テレビでは千葉の方のコンビナートが炎上している映像が繰り返し流されていました。でもこの時点で僕らはまだ東北地方で起きている惨状を知りませんでした。

 夕方になりやっと余震も落ち着き、僕らは会社に戻りました。そこで冷静になってふと思い出しました。

「あの写真はどうなったんだろう」

 もちろん未曾有の大惨事です。バイク便会社だって同じです。こんな状況で荷物なんて運んでいる場合ではないでしょう。鉄道も道路もパニック状態で、ほとんど機能していませんでした。電話も繋がりません。僕は混乱する頭でどうしたらいいかを必死で考えました。でも頭が混乱しすぎていて、どうしたらいいかわかりません。会社からは帰宅するようにとの指示が出ており、帰宅できない人は会社の接客用の広めの共有スペースにみんなで集まっていました。

 気がつくと僕は会社のビルの入口に座り込んでいました。たくさんの人が徒歩で帰宅するために、目の前の中央通りを歩いてそれぞれの方向に向かっています。道路は車で溢れ(見たことのない景色です。東京中が車で溢れていました)太陽は傾き始めていました。

 バイク便のお兄さんがビルの玄関に現れたのは、日が暮れてずいぶん経ったあとでした。確かに僕はそこでバイク便を待っていましたが、バイク便がやってくるとは思っていませんでした。矛盾するようですが、そんな気持ちで座っていたのをおぼえています。だから目の前にバイク便さんが現れて、お互いが会えたことがわかったとき、僕らはそこで無言で笑い合いました。実にバイク便を発注してから6時間以上が過ぎていました。
 あの日のバイク便さんのことは、一生忘れないと思います。自分の暮らしも、恋人や家族のことも心配だったに違いありません。でも、彼はその日のうちに約束を守ってくれました。そればかりか僕に「遅くなってすみません」と言ったのです。

 そのようにして無事に、落とされることも損なわれることもなく、バトンはつながれました。

 震災の翌日は土曜日で、日を追うごとに東北の状況が明らかになっていきました。福島第一原発はもはや手のつけようがないところまできてしまっていました。週明けの月曜日は電車が停まり出社できず、翌日の火曜日からまた仕事が始まりました。しかしはっきり言って仕事どころの状況ではありません。それでも20年以上休まず発行を続けてきた本の発売を止めるわけにはいきませんでした。

 僕らは情報誌で、週末のお出かけを楽しむ情報を集めた本を作っています。でもそのお出かけというのは普通の暮らしがあって、余暇があるからこそ生きるものです。普通の暮らしが揺らいだときに、自分たちがいかに無力であるのかということを、あのときほど思い知らされたことはありませんでした。それでも4月12日に向けて、僕らは黙々とオズマガジンを作りました。こういうときこそ、普通の暮らしを取り戻せる人から取り戻すしかないと思いました。自信はないけど、それしかできることもないだろうと。

 校了の前日の深夜、僕は部屋のパソコンの前で、途方に暮れました。オズマガジンの最初のページを開いた場所に、毎号のオズマガジンのことを自分自身の言葉で書いたページがあります。でもその夜、僕はなにも書けずにいました。本当に。まったくなにも、ただの一文字も書けませんでした。「自分たちでできることをやろう。淡々とやろう」そうみんなを鼓舞して1カ月間やってきて、最後の仕事の前で、僕はただの一言も書けなくなっていました。
 いつもはそのページを真夜中に思うままに書いて、眠って翌日読み返して、修正して校了するということを続けてきました。でもその日の夜、僕は自分が文章を書いたことをあまりおぼえていません。

 その「鎌倉特集」には、自分の書いた文章がいつもどおり掲載されています。紙面も、今読んでも「いつもどおり」のオズマガジンを作れていると思います。編集部のみんなは、本当に辛い中「いつもどおり」のオズマガジンを作ってくれました。

 今思うのは、そうやってあの号も休まずに、いつもどおりのオズマガジンを作れたことは、今のオズマガジンにしっかり繋がっているということです。

 2011年5月号のオズマガジン。今回のキャンペーンでも購読可能です。ぜひ読んでみてください。

 東日本大震災で被害に遭われたすべての方のご冥福を、あらためてお祈りいたします。

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