日常の外側にある日常に
暮らしている自分を想像することで
心が鎮まっていくことがある
ほとんどなにもしなかった
夏休みのある1日のこと
夏のあいだずっと咲いていた夾竹桃の花を揺らす熱風がやっと温度を下げて、長くて暑かった夏が少しずつ遠ざかっていくのを感じます。気象予報士が「毎年最高気温が上がり続けて、夏が長くなっている」と、深刻な顔をしてテレビで話しています。でもほんとうの夏の真ん中はあっという間なんだよなぁって思います。夏の終わりに、そんなことを考えたりしています。お元気ですか?
自分の心の中になぜかずっと小さな石のようなものが居座っていて、僕は1週間あった今年の長い夏休みのあいだ、ずっとぼんやりと自分の家とその周りで過ごしました。目が覚めたら近所のプールに行き、ひと泳ぎしたあとで簡単な昼食を食べました。午後はソファで甲子園を観て、本ばかり読んでいました。眠くなるとそのまま眠って、目が覚めると少しだけ傾いた夕方の西陽のなか海まで散歩をする。それが繰り返され、夏の真ん中が過ぎていきました。
そんなぼんやりと過ぎた夏休みのある日に、僕は思い立って伊東という街に出かけました。久しぶりに自分の中に好奇心のようなものが戻っているのを感じた朝でした。僕はそのチャンスを逃すまいと部屋を出たのです。なぜ伊東だったか? それは大磯にある烏という素敵なお花屋さんのオーナーがきっかけでした。前にそこでお花を買ったときに彼女から伊東にある小さな本屋さんのことを聞いていて、いつか訪ねてみたいと思っていたのです。
伊東という街は伊豆半島の入口にある街で、熱海から30分ほどの場所にある海辺の観光地です。フィルムカメラで撮った写真のような伊豆半島特有の夏の光が、うだるような夏の空気に少しだけ粒子になって見えるようで、ノスタルジックな趣のある街でした。駅前は鄙びていて、でもその静けさのなかにも夏の浮き足だった感じがひしひしとしているのでした。
目的の「本と音楽の店 つぐみ」は、伊東駅のとなりの南伊東というさらにローカルな駅にあって、まわりにはほとんどなにもありませんでした。夏の暑い日で、駅前はまるでキリコの絵の世界に迷い込んだみたいに誰もいませんでした。太陽の強い光を浴びたすぐそばに迫る伊豆の森の緑の匂いと、海からの微かな潮風が熱風に乗って漂ってきました。
お店の中の本棚にはまばらに本や雑誌が置いてあり、その本の数は僕の部屋にある本の半分以下でした。でもそのほとんどすべての本が、僕が読んだことのある本か、読んでみたいと思わせてくれる本でした。情報量の少ないことの豊かさ。僕は一瞬でそのお店が好きになりました。
壁の反対側にはアナログレコードがやはりセレクトされて売っており、台風クラブの7インチのジャケットが飾られていました。お店の外は真夏の日差しで、そのコントラストの強い店内にいると、そこがまるで世界のはじっこみたいに思えるのでした。
「お近くからですか?」
レコードの棚を見ていると店主が声をかけてくれて、僕らは少しだけ言葉を交わしました。彼女は5年前に首都圏から移住し、この街で就職して主に週末だけお店を開けているそうです。おそらくそのお店は店主である末宗さんの心の中の部屋みたいなものなのかもしれない。会ったばかりなのに、彼女と話しているとそんなふうに感じました。
彼女から教えてもらった伊東駅近くの魚のおいしい居酒屋のカウンターでビールを飲み、新鮮なお刺身を静岡の日本酒でいただきました。そして買ってきた本を読みました。そして僕はこの街に住み、この街で本とレコードのお店をやっている自分のことをぼんやりと考えました。夜はこうやって安くて新鮮なお刺身を肴に日本酒を飲むのだろうなって。それはもちろん悪くない気分でした。
そんななんの変哲もない夏休みの1日の話です。誰も知らない、1日のこと。名前もない、なにも起こらない、ただの夏の日。きっとあなたにも1日くらいはあったはず。今年の夏を思い出すとき、今日のことを思い出すんだろうなぁっていう、知らない街にいた1日の話です。
※メトロミニッツ2025年9月号より転載






