渡辺英司|Eiji Watanabe 名称の庭 / エトワール海渡インスタレーション Garden of the appellation / Etoile Kaito Installation Photo: IKENOYA Yuka(YUKAI)
Wander for wonder
東京のまちを歩くことで
見えてきたもの
Photo:IKENOYA Yuka(YUKAI)
2年に一度開催される
東京ビエンナーレを歩く
たとえば中目黒駅と池尻大橋駅は路線こそ違えど歩くと案外近くだったり、蔵前を北に行くとすぐに浅草に着いたりと、東京の街は歩くことで小さな驚きや発見とともにその輪郭がはっきりしていくことがよくあります。言い換えれば僕たちは東京のことを知っているようであまりよくわかっていないのかもしれません。僕らは街を記号的に理解しているだけで、その中身についてはほとんど知らないんじゃないかって。
そもそも僕は歩くことがけっこう好きで、東京の街を時間があれば歩いています。誰かと歩くのも好きだし、1人で歩くのも好き。誰かと隣に並んで歩くと正面で顔を見ながら話すよりもいろいろなことが話せるような気がするし、なにか考えたいときは机の前に座っているより歩いているくらいの方が考えがまとまることもしばしばです。ほろ酔いで歩く東京のキラキラした夜の川や、遠くに建ち並ぶビルの美しさ、知らない街をどこまでも歩けそうなあの冒険みたいな気分は、この街のことが愛おしくなる瞬間です。
Photo:IKENOYA Yuka(YUKAI)
だから開催中の東京ビエンナーレの今年のテーマが「いっしょに散歩しませんか?」だと聞いたときに、心の底からワクワクしました。言葉の力を感じるシンプルで素晴らしいテーマだなと共感しています。メインの会場は上野の寛永寺というお寺と馬喰町の古いビル。お寺と古いビルというところに東京を感じますし、イーストトーキョーと呼ばれるエリアを中心に世界中から名だたるアーティストたちがアート作品を展示するという建て付けに、リアリティとカッコよさを感じます。ある秋の午後、ひとり会社を抜け出して僕はビエンナーレを歩きました。芸術祭のコンセプトに言い換えれば、なにも考えずに「東京にダイブ」すべく、馬喰町のビルを出発して東京を北へ北へと歩いてみたのです。路地から金木犀の花の匂いがして、マンガみたいに塀の上で猫が昼寝をしていましない絶好の散歩日和です。
会場案内やパンフレットはリュックにしまって(ついでにスマホも)、だいたいの感覚で路地を行き、アート作品以外にも目を向ける。いつもより時間をかけて東京を歩いていると、いかに最近の自分が「歩く」という行為から離れていたかを感じました。それはやることがありすぎて忙しいからというより、たぶんどこかで「極力無駄を省く」という意識が働いていたように感じます。もしかしたらまだやってきていない「面倒なこと」に構えるあまり、余白を恐れてしまっていたのかもしれません。でも気の向くまま最短距離を考えずに歩いていると、だんだん眼に映るものをそのまま受け入れられるようになってきました。そしてその心をもってアート作品に対峙すると、それぞれのアートが生まれた起点にあった誰かの心に少しだけ近付けたような気もするのでした。答えを持たない自分になることで、それを知ろうとする心の余白が自分の中に戻ってきたのかもしれません。
Photo:IKENOYA Yuka(YUKAI)
※東京ビエンナーレの開催期間は2025年12月14日までとなります
街歩きを終える頃に感じていたのは、たぶんこの芸術祭の本当の目的はアートを見せること「だけ」ではないということでした。東京ビエンナーレが我々に見せてくれるのは、江戸から続く都市生活の知恵や信仰、自治、芸能、町人文化といった「基層文化」の存在でした。それが今も東京という都市のそこかしこにそっと息づいており、現代において未だ新たな創造の土壌となりうる重要な文化資源として現存しているということ。それを知り、東京の街に誇りを取り戻すことこそが、きっとこのアートプロジェクトの大きな意義なのです。
ただ歩くだけでそれを感じられるくらい東京ビエンナーレはシンプルに楽しかったし、東京という街は美しくてリアルでロマンチックな場所でした。でも、僕はたぶんそこを本当の意味ではまだ知らないのでしょう。知った気分になっているけど、きっと知らない。だから僕はもっともっとこの街を歩いてみたいと、もはや場所もわからない街角のベンチに座りながら空を見上げたのです。
※メトロミニッツ2025年12月号より転載






