日本ワインを30年以上見つめてきた北海道の造り手、ブルースさん。一方、桒原さんは長野県にてストイックな姿勢でワイン造りの意欲を燃やします。師弟関係でもある2人が、日本ワインの現在地と未来を本気で語り合いました。
1961年、ニューヨーク生まれ。カリフォルニア大学デイヴィス校修了。ニュージーランドなど世界各地のワイナリーで実績を積む。89年に来日、91年、ココ・ファーム・ワイナリーの取締役醸造責任者就任。2009年、北海道岩見沢市で自社畑開園。12年、自身のワイナリーを設立
24年前に出会った2人
師弟として歩むワイン人生
2人の出会いは今から24年前。20歳になったばかりの桒原さんが、当時、ブルースさんが働いていた栃木県のココ・ファーム・ワイナリーで選果作業のボランティアに参加したときのこと。帰りがけにブルースさんが、「今日、君が選果していたブドウのワインだよ」と、1本の甲州ワインをお土産にくれました。その日本ワインは桒原さんにとって、それまで居酒屋で口にしたものとはまったくの別物でした。こうしてワイン造りの片鱗に触れた桒原さんは、2004年にココ・ファーム・ワイナリーに就職。ブルースさんを通して世界中のワインに出会い、現場で経験を重ねました。06年にはブルースさんとともにフランス視察にも参加。現地の造り手たちと直接交流し、郷土料理とワインが結びついた食文化に衝撃を受けたと言います。桒原さんはブルースさんから強い薫陶を受け、「自分なりの考えを持つことの大切さ」を学び、その教えが桒原さんのワイン造りの根幹に息づいています。桒原さんにとってブルースさんは今も変わらぬ師匠です。
1981年、栃木県足利市生まれ。2004年、前職を辞して、ココ・ファーム・ワイナリー入社、ブドウ栽培を担当。09年、栽培チームのリーダーに就任。20年、同ワイナリーを退社し、義父が立ち上げたテールドシエルのワイナリー設立時に参画、栽培醸造責任者に就任
現在、2人はそれぞれの土地でワイン人生を歩んでいます。ブルースさんは、北海道岩見沢市の10Rワイナリーにて、自身のワイン造りを追求する一方、駆け出しの造り手たちが自分のブドウを持ち込み、ともに仕込みを行いながらワイン造りを学べる場を提供。一方の桒原さんは、長野県小諸市で義父が立ち上げたテールドシエルの栽培醸造責任者を務め、この春にはワイナリーを2倍に広げて、新たなステージへと歩みを進めようとしています。
2025年12月のとある日。ブルースさんは、桒原さんに会うため、初めてテールドシエルを訪れました。桒原さんの独立後、5年ぶりの再会。造りの現場で味わってきた喜びや怒り、そして抱いている覚悟。師弟という関係を超え、同じ時代を生きる造り手として、日本ワインの現在地とこれからについて、語り合いました。
日本ワインの広がりと
その裏側に抱える課題
ブルース この5年間だけを見ても新しい生産者が次々と増えましたね。日本ワイン業界は、今、とてもにぎやかで話題にも事欠かない。いろいろな場所で、さまざまなアイデアを聞けるのは純粋に楽しいし、おもしろいと感じています。
桒原 畑でブドウを育てる人も、小さなワイナリーも、さらに増えてきました。長野県でも同世代の仲間が増え、一緒に飲みながらオープンに情報交換をしたり、切磋琢磨ができるいい環境だと感じています。
ブルース 一方で、心配なこともたくさんありますね。経験が浅くてもワイン造りを始められるようになってしまったこと。以前は、ワインの醸造免許を取得するまでに、かなりの年数をワイナリーで働く必要がありました。まじめに勉強する人がいる一方で、免許取得が簡単になって、ワイン造りをあまり深く考えていない人がいないわけではありません。
桒原 今まで、日本のワイナリーは順調に増えてきたけれど、次の5年間は徐々に減少していく可能性もあるのではないかと感じています。
ブルース 同感です。でもそれは日本だけじゃありません。オーストラリアもカリフォルニアもヨーロッパも今は本当に大変です。次々にブドウを引っこ抜いたり、ワイン造りをやめたりする生産者が増えています。
桒原 生き残るためには、おいしいワインを造ることが大前提ですね。
ブルース ブドウがあればワインにはなりますが、本当においしいものを造ろうとするのならば、どこでも大きな労力がかかります。それに日本の気候はちょっと厳しい。だからこそ、学ぶべきことはまだまだ多いと思います。
造り手としての
覚悟を持つこと
桒原 ワインを造ったからと言って、必ず売れるもんじゃない。実は、独立した当初は、かなり辛かったです。どうやってワインを売ろうか悩んで、まずはインスタグラムを始めて、少しずつメッセージを送ったりして、必死に販売しました。資金繰りが心配で、心配で…。もちろん自分は絶対にいいワインを造るしかないとは思っていましたが、「ここで挫けちゃいけない」って自分に言い聞かせて踏ん張りました。ワインへの憧れのようなロマンだけじゃやっていけないというのはつくづく感じます。
ブルース 今の日本はドメーヌ(※)至上主義で、他の農家さんから買ったブドウでワインを造り、販売することに対して否定的な見方もあります。しかし、たった2haほどの自社畑のブドウだけでワインを造って経営を成り立たせるのは本来とても難しい。自社畑のワインをすべて5000円台で販売するという強気のビジネスプランをよく見かけますがそんなワイナリーは世界中探してもめったにない。しかも仮に2年間、続けて天候が厳しかったら、たちまち収入は激減する。借り入れがあったら、返済もできなくなってしまう。ゆとりある暮らしができるわけがない。
(※)ドメーヌとは、自社畑のブドウのみを使って自社の醸造所でワインを造る生産者のこと
桒原 そうですね。ブドウは農産物なので、なにが起こるかわかりません。だから私は、たとえ批判されても、自社畑のブドウだけでなく、購入したブドウでもワインを造り続けようと思っています。そうして売り上げのベースを作ることで、自分のワイン造りに集中できるから。
ブルース より大きな視点で見ると、今、必要なのは日本ワイン産業のインフラを立て直すことだと思います。例えば、ある農薬についての疑問が生じたときに、1人で解決しようとしたり、せいぜい知人に聞いたりするケースがまだ多い。でも日本ワインが次のステップに進むには、知識を共有・蓄積できるインフラを作る必要があります。また、ブドウを育てるときやワインを醸造するときの選択肢を増やすことも大切。温暖化の影響で、これまで定番だったブドウ品種の栽培が難しくなっている地域もあります。そんなときに試せる品種の選択肢があることは、とても重要。私が理事をしている日本ワインブドウ栽培協会の活動もそのひとつ。海外のコンサルタントや研究者のセミナーをやって、情報量自体をもっともっと増やしたいですね。
日本ワインの伝え手と
日本ワイン文化の醸成
桒原 自分のワインを販売するようになって、伝え手や飲み手の存在の大切さをすごく感じるようになりました。酒販店や飲食店の方、そして飲んでくださる方がいて、初めてワインが収入に結びつく。さらに、伝え手や飲み手の皆さんからのフィードバックがあるから、辛いことも乗り越えられるんです。
ブルース そうだね。20年前は日本ワインは見向きもされなかったでも10年前頃から風向きが変わってきて、最近では、星付きのレストランが日本ワインに興味を持ってくれるようになりました。私たちはそのチャンスをもっと活かさなければいけない。そして、海外のワインしか飲まない人たちや若い人たちにも日本ワインに目を向けてほしいです。
桒原 長野県では、最近になって日本ワインを取り扱ってくださるお店が増えて、日本ワインと料理を一緒に楽しめるようになってきました。例えば、小諸の「チッタスロー」では、長野の食材を使ったピザと日本ワインが楽しめます。以前、フランスで体験したような、食とワインが結びついた食文化が今後育まれていくといいなと思っています。
ブルース 私は先日、東北最古のワイナリーでもある山形県の酒井ワイナリーの酒井一平さんと話す機会があったんです。山形県にはブドウ栽培や農業の歴史、そして、郷土料理の歴史が、地域にしっかりと息づい
ていることに感動しました。同県の「出羽屋」という旅館で、食事とワインを味わったのですが、地元の食材、地元に伝わる料理をベースに考えられたすばらしい料理の数々が生み出されていて。日本の各地でそうした食とワインの文化が根付いたら、素晴らしいことだと思います。これこそが日本のワイン文化ですね。
対談が終わり、別れ際に「今日はここに来られて良かった。期待しています」と声をかけたブルースさん。桒原さんは目に涙を滲ませ、2人は固く抱き合いました。
Photo/MASAHIRO SHIMAZAKI Text/MIYUKI KATORI
※メトロミニッツ2026年2月号より転載






