拾い猫の愛しさとぬくもりが、そっと絆を育てる優しい物語
【第4話】ルフナ ~猫が好きな猫~
「やっぱりなかなか慣れませんか、あの子は……」
「そうですね……。触れ合えるまでは、ちょっと時間がかかるかもしれません。なんというか不思議ちゃんで……。珍しいタイプの子かもしれないです」
「最初はけっこう懐っこいかと思ったんですけどねぇ」
ひと月ほど前、中松さんから依頼を受けて保護した、白黒の野良猫。
仮名を『ルフナ』とつけたその子は、保護した時点で生後半年を過ぎていた。子猫が成猫になるまでには約一年から一年半ほど。つまり、まだ子猫と呼ばれる範囲ではあるものの、ルフナの外見はもう子猫ではなく、ほぼ成猫に近かった。
生後三か月未満の子猫は、比較的、人慣れも早い。
けれど、外の世界で過ごした期間――ようするに、野良猫であった期間が長くなればなるほど野生化は進み、人への警戒心は高まっていく。
すると当然、保護後の人慣れにも時間がかかる。結果的に里親候補も見つかりにくくなり、譲渡まで多大な時間を要するわけだ。
そうならないように、子猫を見つけたらなるべく早い段階で保護するのが理想なのだが、これがなかなか思うようにはいかない。
相手は生きている猫。タイミングが合わなければ、いつまでも保護できずにズルズルとずれ込んでしまうこともある。
ルフナも、そのパターンだった。
「TNRのほうがよかったんでしょうかねえ……。あれでもまだ子どもだし、チャンスはあると思うんだけどなぁ」
ご依頼主である中松さんは、ご自身でも猫を三匹飼っている猫好きさんだ。
団体に属してはいないものの、猫の保護活動には協力的で、周辺の野良猫事情にも詳しい。自分でも保護に乗り出し、常に積極的に動いてくれる方だった。
その地に住んでいる人の情報は何よりも役に立つ。中松さんのような方の情報提供のおかげで、私たちの活動は成り立っていると言ってもいい。
今回の子に関しても、前々から気になっていると連絡をくれていた。
「もっと小さいうちに保護できればよかったんですけど、すみません……。捕獲器を仕掛けるのが精いっぱいで、なかなか張りこめる時間が取れなくて」
「いやいや、お忙しいのは存じていますから。むしろ、協力していただいて申し訳ない」
すでに保護している猫たちの世話や、母猫からはぐれた生後間もない子猫など優先順位の高い猫の保護。それらを決して多いとはいえない数のメンバーで協力しながら日々活動しているため、猫を保護してほしいという連絡をもらっていても、緊急性がなければ様子を見させてもらうこともある。
とりわけ今回は生まれたばかりの子猫ではなかったため、ひとまず捕獲器を近辺に設置して入ってくれるのを待っている状態だった。
しかし、頭のいい子だったのだろう。仕掛けて数週間、まったく保護できる気配がなかった。もうほかの方法を考えるしかないか――と相談し始めたところでなんとか入ってくれて、ようやく保護に至ったわけだ。
「うちの周りは高台で、餌やりさんもうちくらいなんです。しかも、近所には猫嫌いな住民が多くて……。嫌な思いをしないように、できれば暖かいところで幸せに大きくなってほしいんですよ」
「たしかに……。あのへん、猫の苦情が多いんですよね」
(ついこの前も『野良猫が多くて毎日困ってる、いい加減どうにかしろ』って連絡があったし……。そういうタイプの人が密集してるのかも)
中松さんが懸念するのも無理はなかった。
比較的、この地域には猫好きが多い。野良猫にも寛容な人ばかりだし、だからこそ餌やりさんが多くいる野良猫タウンなのだけれど、やはりなかには猫嫌いの人も存在する。そういう人は、この活動をする私たちへの当たりも強いのだ。
保護猫活動は、あくまでボランティア。野良猫のすべてを管理する大きな機関ではないし、困りごとをどうにかする団体でもない。しかし、この活動をしていると、どうしてもそういった避けられない衝突は出てきてしまう。
(猫好きさんとしては、猫嫌いな人がそばにいる環境に返すのは嫌なんだろうな)
中松さんの気持ちは痛いほどわかる。
飼い猫の寿命が平均十五年を超え、年々更新されているのに対し、野良猫の平均寿命は三〜五歳。とりわけ子猫は二十%ほどしか生き残れないと言われている。この数値を見るだけでも、野良猫の実情が甘くないのは明らかだ。
自然界は厳しい。人間だって善良な人々ばかりではない。そういう現状を知っていたら、できれば――という思考になるのも当然だった。
「引き続き、うちで預かって様子を見てみますね。里親さんもぼちぼち探しながらにはなりますが、おそらく落ち着いた頃に譲渡会参加という流れになると思います」
「はい、よろしくお願いします」
保護猫活動は、地域の方や協力者さんと手を取り合って成り立っている活動だ。
たとえ理解されないことがあっても続けられるのは、こうして同じ志を持った仲間がいるからでもある。
(飼い猫じゃないのに、こうして猫ちゃんたちのことを心から考えてくれるってありがたいことだよね。私も頑張らなきゃ)
◇
「どうしたの、ルーちゃん」
ジーーーーーー。
「ねえ、ルーちゃん。さすがにちょっと見すぎだと思うんだけど」
前足をちょこんと並べて、じいいいっとこちらを見つめるルフナ。
不思議なもので、威嚇するわけでも、唸るわけでもない。むしろうんともすんとも言わず、呼吸をしているのかも心配になるほどだ。
しかし、手を伸ばしても触れられないくらいの一定の距離を保ちつつ、まるで銅像のように固まって様子をうかがう――。これがルフナの通常スタイルだった。
近づこうものなら脱兎のごとく逃げる。にゃあと鳴くこともない。ただただダッシュで物陰に隠れ、とにかく息を潜めて気配を消し去ってしまう。
そんな距離感だから、人との触れ合いはまったく増えることがない。
「ルーちゃんは、猫相手だとコロッと態度が変わるのにねぇ」
「…………」
「試しに、誰かのおうちへ行ってみる? ルーちゃんの場合、そういう問題じゃなさそうだけど……。どうするのがいいのかな」
うちの団体では、保護している猫を手分けしてお世話をしている。
団体メンバーはもちろん、一時預かりを請け負ってくれる協力者のほか、子猫だけを専門的に請け負うミルクボランティアさんもいる。
いつ、どのタイミングで新しい保護猫がやってくるかわからないため、とにかく情報を共有しながら、協力して活動をするしかないのだ。
今回ルフナも、うちに来る前は協力者さんの家にいた。だが、そこでもやはり状態は変わらなかったらしい。ならば人に慣れた猫と暮らしてみようという話になり、うちへ移動してきたわけだ。
実際、そういった関わりを増やすことで人慣れが進む場合も多い。
それに子猫は、そうしてほかの猫とじゃれ合うことで、適度な関わり方を覚えていく。どれくらいの強さで噛んだら痛いのか、何をされたら嫌なのか――猫同士でなければ学べないことも多々あるゆえ、こうした関わりは大事だった。
ルフナの場合、状況を変えても人に対しての進展は見受けられなかったが、ひとつだけ――存外『猫』が好きだということが明らかになった。
(まあ、ルーちゃんからしてみたら、人なんて未知の存在だもんね)
ルフナのように、外で過ごした時間が長かった猫は、やはり同じ猫の存在に安心するのかもしれない。常にほかの猫を探し歩いているし、人よりも猫が好きなのは明白だった。猫に対しては、途端に感情が爆発するのだ。
とくにルフナは、自分と歳が近い一歳差のオス猫のレイのことが好きらしく、いつもべったりくっついて回っている。
「ふふ、カップルみたいだね」
二匹で磁石のようにくっついて、お互いのからだをぺろぺろと舐め合う姿は、なんとも愛らしい。いつもはレイのほうが他のお姉ちゃん猫にべったりなのに、ルフナに対してはお兄ちゃんっぽく振舞っているのがきゅんとしてしまう。自分よりも年下だとわかっているのだろうか。
(ルーちゃんみたいな美猫さんに甘えられて、でれでれしてるのかも)
真っ白な毛に、ワンポイントの黒のブチ柄。顔の形も目も鼻も真ん丸で、とてもかわいらしい。人間から見たら間違いなく美猫さんだ。
そういう意味では、里親希望者さんからも人気が高いのだけれど――。
(もうちょっと、人に慣れてくれたらなぁ……)
レイと遊びはじめたルフナを眺めながら、どうしたものかと頭を悩ませる。
ルフナはレイの横でごろんとお腹を出した。かと思ったら、「なぁん」と聞いたことないほど甘えた声を出してみせる。
(……あざとい)
距離があるとはいえ、同じ空間に人間がいても、あんなふうに無防備な姿を見せられるのなら譲渡も可能な気がするけれど――。
「もう少し、様子見……かな」
◇
「よし、ルーちゃん! 今日も一緒に寝ようね」
保護してから二か月。
ルフナの受け入れを希望してくれる人はいまだに現れなかった。
正確には、写真を見て面会を希望してくれる人が現れても、なかなか人慣れしない性格を知ると『やっぱり今回は……』と辞退されてしまうことが続いている。
それでも、初期に比べたら、だいぶ人との距離が近づいてきている実感はあった。
相変わらず遠巻きにこちらを見つめているけれど、三メートルが二・五メートルになり、二メートルになり――。ほかの保護猫たちが私に甘えているときは、一メートルほどまで近づいたこともあった。いちおう、進展はしているのである。
そこで私は『ルーちゃんともっと仲良くなろう作戦』として、同じ部屋で寝てみることにした。
本日は作戦三日目。
最初こそ床に敷かれた布団にぎょっとしているようだったけれど、さすがに三日目ともなれば、布団が危険なものでないことはわかったらしい。手早く床に敷く様子を、相変わらず、じぃぃぃぃっと食い入るように見つめていた。
「歯磨きとかしてくるからね。いい子に待ってるんだよー」
そう言い残して猫部屋を出て、寝支度をしながら考える。
(うーん。人間が怖いって感じでもないんだよね。どちらかというと『なんなんだこの奇妙な生き物は……』みたいな目をしてるし。それが癖になるんだけど)
ルフナは、猫という生き物以外をよく知らないのかもしれない。
生まれて初めて触れ合う人間という未知の生態を前に、戸惑いながらも注意深く観察して、人間がどんなものなのかを必死に理解しようと試みているように見える。
そんなルフナの様子を見ていると、時間はかかっても、人と共に穏やかに過ごせる素質がある。この子はきっと大丈夫だと思えた。
保護猫のなかには、何をしても、どれだけ一緒に過ごしても人間に慣れず威嚇をやめない子もいるのだから――。
(来週の譲渡会で、里親さんが見つかればいいけどなぁ……)
ぼんやりと当日の流れを考えながら寝支度を終えて、部屋に戻る。驚かさないように音を立てずそっと扉を開けた私は、その光景を目撃した瞬間、硬直した。
「!!!!」
さきほど私が敷いた布団の上で、ルフナがちょこんと寝ていたのである。
(私の布団で、すやすや寝てる……!?)
その上、ずいぶん気持ちよさそうだ。
布団のもふもふが気になっていたのだろうか。それにしても、私の匂いがついているだろう場所に、あんな穏やかな表情で寝ているなんて――。
「ルーちゃん……成長したねえ……」
思わず涙ぐみそうになりながら部屋に入り、ゆっくりと近づく。
私の存在に気づくとダッシュで逃げてしまったけれど、これは大きな進歩だ。
ルフナが寝ていた場所に手を当てると、まだほかほかと温かくて、なおじんとしてしまう。私が出ていってすぐにここへ乗ってくつろいでいたのかもしれない。
私の存在を受け入れつつある、ということだろうか。
そうだったらいい。そうであってほしい、切実に。
願うばかりだったけれど、驚きはなんとそれでとどまらなかった。
その日の深夜――。
(ん……?)
何やら、足元にもぞもぞと重みを感じて目が覚めた。
(誰かが乗ってきたかな……)
猫部屋で寝ていると、いつもは自分の定位置で寝ている猫たちが布団の上に乗ってくることがある。複数で乗られるとつぶされそうになるけれど、それほど心を許してくれていると思えば、多少の苦しさくらい耐えられるというものだ。
(いったい誰が……)
そっと首を起こして足元を見た私は、その瞬間、目をカッと見開いてしまった。
「!!!!!!!!!!」
暗がりに溶け込みながらも、足元で小さく丸くなっているのは、ほかでもないルフナだったのだ。まさか私が寝ているとわかりながら、これほどの距離に近づいてくるなんて、あまりにも信じがたい行動である。
(ルーちゃん……!)
むしろ、私が寝ていると判断したから寄ってきてくれたのだろうか。
なんにせよ、思いがけないことだ。触らせてくれるまでいかずとも、ここまで人との距離が近くなれば、ほっとひと安心。来週の譲渡会にも希望が持てる。
あまりの衝撃に眠気はすっ飛んでしまったけれど、『ルーちゃんともっと仲良くなろう作戦』の大成功に、この上ない喜びが胸に満ちていた。
◇
そしていよいよ譲渡会当日。
たくさんの人間が訪れる譲渡会は、猫たちの負担も大きく、人見知りする子がほとんどだ。そんな状況でも人を怖がらない子や、生後数か月の子猫はやはり人気が出やすい傾向にある。一方で、後ろを向いて固まっている子は興味を持たれにくく、どうしても希望者が現れにくいのが現実だ。
さすがのルフナも怯えているようで、ケージの隅にからだを押しつけて微動だにしない。なるべく負担が減るように、人が並んでいないあいだはケージに布をかぶせて周囲が見えないように配慮はしているけれど――。
(せっかくお顔がかわいいのに、お尻を向けちゃってるからもったいないなぁ)
かといって無理に動かしてはストレスになるし、人への恐怖心を煽りかねない。
いちばんかわいく撮影できた写真で作った自己紹介ボードを見て、興味を持ってくれる人を待つしかなかった。
そうして、手ごたえのないまま、譲渡会終了十五分前にさしかかった頃――。
「すみません。この子、さっきから気になっていて……。少しご挨拶させてもらってもよろしいかしら」
「はい、もちろんです!」
声をかけてきたのは、五十代前後のご夫妻だった。松原さんというらしい。
「一周回ってきたのだけど、まだ生後半年未満の子が多くてね。この子、写真で見るとけっこう大きいわよね」
「そうですね。元野良猫ちゃんなので正確にはわからないのですが、生後八か月、という見解です。保護したとき、もう生後半年は過ぎていたので……」
「そうなのね。白と黒で、とってもかわいい柄だわぁ」
「うちは先住猫がいるのもあるし、僕たちも仕事をしているから家を空けることも多くて。なるべく大人の猫ちゃんが、と探していたんです」
「なるほど! だったら、ルーちゃんは候補にいいかもしれません。この子、猫のことが大好きで――」
ルフナの性格や、普段の様子。里親さん候補にとって参考になる情報を伝える。
家庭にはそれぞれの事情がある。保護猫を希望する理由もさまざまだ。
だからこそ、こんなふうにお互いの事情を伝えあって、より条件がよい子とのマッチングを目指す必要がある。
「あらま!」
ケージの裏側からそっとルフナの顔を見た松原さんは、口を押さえた。
「この子、とってもかわいいお顔してるわね〜」
「そうなんです、ぬいぐるみみたいなんですよ」
見てしまったら最後、松原さんはルフナに惹かれてしまったようだった。
「この子、トライアル希望させていただくかもしれません」
◇
――譲渡会終了後。
マッチング発表で、ルフナを希望してくれたのは松原さんのみと判明した。
けれど、何度譲渡会に参加しても、トライアル希望者がひとりも現れない――なんてことも往々にしてある場所だ。
希望者が現れてくれただけで、こちらとしては何よりもほっとする。
(うちに来てからもうすぐ三か月……。やっとトライアルまでこられた)
面会しては辞退され、面会しては辞退され――。
顔もかわいいし、攻撃的なわけでもない。
ただ人に対して、まだ慣れていないだけの子。
なんなら『保護猫』としてはとてもいい子の部類に入るほどだが、『保護猫と暮らす』という本質を理解して里親希望をしてくれる人は案外少ないのだ。
この活動をしている立場の者としては、最初こそ距離があっても、同じ時間を共有し、共に過ごしていくなかで生まれる絆を信じてほしいところなのだが――。
(あんなに離れていたルーちゃんが少しずつ近づいて、布団に乗って、一緒に寝るようになった……そんな感動こそ、保護猫を受け入れる醍醐味だと思うんだけどなぁ。松原さんはきっと、ルーのこと理解してくれるよね)
松原さんは里親さんの条件的にも素晴らしかった。
団体によって、あるいは譲渡会の主催者によって里親希望者になるための条件は異なるが、松原さんはそのすべてをクリアしている。先住猫ちゃんも保護猫だったようで猫の知識にも長けているし、おうちも一軒家で生活も安定しているらしい。
万が一、夫婦に何かあったときの後継人もいるようだ。
しかし、それだけ条件がそろっていても、思い通りにいかないことはある。
(このままうまくいきますように……)
だからこそ、送り出すときはそう心から願うしかないのだった。
そうしてトライアル契約を交わし、後日ルフナは松原さんのお宅に旅立った。
【ケージからまだ出てこないです】
そんなメッセージが送られてきた数日後、【出てくるようになりました】と追加の報告が入る。添えられていた写真には、家の中を探検するルフナの姿があった。
「よかったですねえ、ルーちゃん。このまま譲渡決まりそうじゃないですか」
トライアル途中経過を団体メンバーに共有すると、みんなよかったと口をそろえた。なかなか厳しいかも、という状況を知っていただけに安心したのだろう。
それは私も同じなのだが、ひとつだけ気にかけていることもあった。
「でも、ちょっと心配な報告もあって」
「心配?」
「どうも先住猫ちゃんとの相性がよくないみたいなんですよね」
正確には、先住猫ちゃんのほうがルフナの存在を嫌がっているらしい。
ルフナのほうは、相変わらず猫が好きで、どこへ行くにも先住猫ちゃんに引っついて回っているようだ。それがうっとうしいのか、先住猫ちゃんはルフナに対して威嚇を繰り返し、強烈な猫パンチをお見舞いしているという。
(先住猫ちゃんがいる場合、なわばりに知らないヤツが入ってきた!って最初は攻撃的になる子も少なくないけど……)
松原さんは、その攻撃によってルフナが傷つかないかと気が気でないらしい。
この状態が続くようなら譲渡は難しいかも、という言葉も添えられていた。
(松原さん夫婦的に、自分たちとの距離があるのは全然かまわないって言ってくれてるとはいえ……。先住猫ちゃんもストレスでお腹下してるみたいだし、無理強いはできないなぁ)
先住猫がいる場合、トライアルはその子との相性を見る目的も含まれる。
トライアル期間中に慣れなくても、時間が経つにつれて猫同士の距離が近づいたと報告を受けることも多いのだけれど――先住猫ちゃんを大事にしたいという飼い主さんの気持ちも理解できるから、なかなか難しいところだった。
(どう判断を下すかは、松原さん次第だけど……)
そうして、引き続き報告を待ち――。
『もう少しで乗り越えられそうな気がするんです。確実に最初よりは距離が近づいているし、希望も見えてきていて』
「そうですか……。そろそろ二か月になりますが、まだご決断は……?」
『すみません、あとちょっと粘らせてください』
(うーん。困った)
すぐに可能性を断ち切らず、希望が見えるまで粘りたいという気持ちはありがたい。先住猫ちゃんのこともルフナのことも、大切に考えてくれている証拠だ。
けれども、本来ならトライアル期間はとっくに終わっている時期。
猫にとっての二か月は、決して短いものではない。
もしここから譲渡の話が白紙になった場合、またいちからルフナの里親さんを探さなければならなくなるのだ。
ようやく松原さんの家に慣れてきたところだろうに、そうなってしまってはルフナの環境的にもよくないため、こちらとしても悩ましかった。
(やっぱり無理かも、いけそうな気がする、やっぱりちょっと……ってすでに何度も繰り返してるのを考えると、よけいに頭を抱えるというか……)
こちらがどう返答すべきか思案していると、松原さんは申し訳なさそうにしながらも口火を切る。
『わたしや夫のことは、やっぱりまだ警戒してるんです。でも、おもちゃで遊ぼうとすると近づいてきて、ちょっと距離を保ちながらも遊んでくれることも増えてきて。それが本当にかわいくてたまらないんですよね。だから夫とは、抱っこしたり、撫でたりできなくてもいいよねって話もしてて……』
「そうですね、こちらで保護していたときも触るまではいかなかったので……。長い時間をかけて触れ合えるようになればいいな、とは思うんですけど」
『ええ、それでいいんです。遠くから見守っているだけでも癒やされますから』
松原さんの様子は穏やかで、心からそう思ってくれていることがわかる。譲渡を決断できないのも、猫たちの幸せを本気で考えてくれているからなのだろう。
(ルーちゃん的には先住猫ちゃんのことが大好きみたいだし、先住猫ちゃんが受け入れてくれさえすれば解決なんだけどな)
悩ましいながらも、私はもう少しだけトライアル期間を延長することにする。
個人的に、ルフナは松原さんの家が合っていると思ったのだ。
松原さんご夫婦の寛容な性格や保護猫への理解もさることながら、遊び場にも隠れ家にも困らない大きなおうちと、充実した猫グッズ。周囲は静かな住宅街。これほど落ち着いて日々を過ごせる環境はなかなか巡り合えないだろう。
(どうか先住猫ちゃんが、ルーちゃんの粘り強さに折れてくれますように)
正解のない、苦渋の決断ではあったものの、松原さんを信じて待つことにした。
◇
――そうして、さらに二週間後。
松原さんが出した決断は『このまま譲渡でお願いします』というものだった。
ルフナの里親になると心を決めてくれたのである。
『正直ね、途中はけっこう心が折れてたんです。うちの先住猫ちゃん、ちょっと近づかれるだけでも唸って威嚇してたから……。ときには爪を立てて本気の猫パンチも繰り出してたし、このままじゃルーちゃんが怪我しちゃうかもって』
「それはたしかに、飼い主側としては不安になりますよね」
『そうなんです。でも、なんだか最近はお姉ちゃん風を吹かせるようになってきて』
「え〜!先住猫ちゃんがですか?」
『ええ。ちょっと怒ってる感じはあるんだけれど、この場所よこしなさいって、ルーちゃんの寝てた場所に割って入ったり、毛づくろいしてあげるから我慢しなさいって、たじたじしてるルーちゃんを押さえつけてぺろぺろしたり。これがなんだか姉妹っぽくて、本当にたまらなくかわいいんですよ』
松原さんの声は心なしか弾んでおり、うれしそうだった。
不安を抱きながらも、温かい目で見守ってくれていたんだなと伝わってくる。
話を聞いている限り、先住猫ちゃんは自分の妹――あるいは後輩猫として、ルフナがテリトリーに入ることをようやく許せるようになったのだろう。
ルフナも、どれだけ猫パンチをされようが、理不尽な要求をされようが、めげることなくすり寄っていくらしい。そんなめげない心のおかげで、先住猫ちゃんの心も解かれていったのかもしれない。
松原さんとルフナの粘り勝ち、といったところか。
『最近寒くなってきたからか、よくくっつくようになったんです。小さいペット用の布団に一緒になって寝てて、それはもう癒やされる光景で』
「えー! かわいい! もうひと安心ですね!」
ルフナが私の布団で寝ていたときのことを思い出して、つい頬が緩む。
『本当によかった。なんだか気が抜けちゃったわ』
「松原さんもこの一か月は気が気じゃなかったですよね……。改めておつかれさまでした。ルーちゃんの里親さんになっていただいて感謝しかありません」
『いえいえ。心配はあったけど、賑やかで幸せな日々でしたよ』
心の底から猫好きなのだと伝わってくる。やはりいい里親さんだ。
『わたしたち夫婦に慣れるのは、もう少し時間がかかるかもしれないけれど……。それでもかまわないの。ルーちゃんが、ここは自分の家なんだってわかるようになるまでは気長に待って、ちょっとずつ距離を詰めていかないとね』
松原さんはそう言って穏やかに笑ってくれた。――またひとつ、特別な出逢いの手助けができたのかもしれない。
そう思うと、こちらまで幸せな気持ちが胸にあふれる。
(人と猫の絆って、本当にあったかいなぁ……)
なんとなく、私も自分の飼い猫たちにいますぐ会いたくなってしまったのだった。
著者:琴織ゆき
神奈川県出身。児童書から文芸作品まで多彩な物語を手がける。本と二匹の愛猫が生きがい。保護猫活動中。
拾われた猫たちが教えてくれたこと
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